スタッフブログ

 梅雨ですね。
 いっときは、ひょっとすると今年は空梅雨でまた、減圧給水だの、時間断水だのの悪夢がよみがえるかと懸念しましたが、どうやら「湯水のように」湯水を使える夏を過ごせそうです。

 伊予松山というところは、海の幸、山の幸にも恵まれ、出湯の里で、文学の町で、普段は言うことのないよい街なのですが、毎年6月にドキドキしなければならないのが少々煩わしい。降るのか、降らないのか…しかも、降ったら今日は濡れていかなければならず、降らなければ明日から減圧給水が始まるかもしれず…何というか、も一つスカッと解決みたいな爽快感がない。
 ま、何にせよ、完璧というのは望んではいけないのかもしれません。こういう玉に瑕というのもしみじみと味わえるというのが大人というもので、私ももっと大人の階段をのぼらなければなりません(天国への階段でもありますが)。

 さて、本日は雨やどりの退屈しのぎにキューカンバーサンドのお話など。
 今は亡き、映画監督で、名優であった伊丹十三氏は、戦後の一時期松山で暮らしていたこともあり(松山東に入学後休学、松山南高校の卒業生です)、その縁もあってか一六タルトのCMに長い間登場し、ある程度以上の年齢の松山人にとっては非常になじみ深い存在であります。

 その氏はまた優れたエッセイストでもありました。代表作は「女たちよ!」「ヨーロッパ退屈日記」「日本世間噺大系」あたりでしょうか。私は大学時代に一読し(当然、その当時もう既に古い本でした。念のため)、その文章の巧さ、内容の面白さに魅せられ次々とむさぼり読んだものでした。なんというか氏のエッセイは、題材が洒落ていて、機知に富み、それでいて生活感みたいなものからも離れず、貧乏くささと野暮を嫌って品のよさと美しさを求めるといった、まぁ当時半人前の私にとってある意味、学校では習えない人生の教科書のようなものでした。

 今、手元に本がないのでうろ覚えで恐縮ですが、おそらく「女たちよ!」の中だったと思いますが「キューカンバーサンド」についてのエッセイがありました。確か、オスカーワイルド(19世紀イギリスの大文学者です)あたりの言葉が導入でイギリスのスノビズム(俗物根性と辞書には出てきますが、あまりうまく訳せてないような気がします)とは何かを知ろうとすればキューカンバーサンドを避けては通れないみたいなことが書いてありました。
 で、料理上手としても名のあった氏らしくレシピが書いてあります。そのレシピというのも単純明快で
1、食パンの耳を切り、バターを塗る。
 2、その上に軽く塩を振り、きゅうり(つまりキューカンバーです)の薄切りを乗せ、塩を振る。
 3、バターを塗った食パンでふたをする。
 4、しばらく放置し軽く馴染んだら出来上がり、長方形になるよう二つに切って食べる
みたいなものだったと思います。注意書きとして、上記以外に何の手順も足してはならない。つまりまあ、マヨネーズなんか使うなよ、ということが書いてありまして。

 皆様のご推察通り、さっそく作りました。で、食べた感想というと…なんていうんですかねえ…、プレーンというかシンプルというか…、まあざっくばらんに言うと「そのまんま」みたいな…
 確か伊丹さんはケチくさい味とおっしゃってた気がします。

 ただ見様によっては、これこそまさに「スノビズム」、つまり上流階級風の極致とも言えるわけで。
「どう?母の作ったキューカンバーサンドだけど食べる?」
「頂くわ」…「お母様、他に何か挟むのをお忘れになってないかしら。例えばハムとかツナとか」
「これは昔からずっとこのままだよ」
「…そうね。すごくいいお味」「でも、マヨネーズがあれば少し掛けても美味しいかも」
「気がつかなくてごめんね。我が家は代々肉体労働をした人がいないのでとても薄味に慣れてしまってて」
「…ちょっと待って。ジャストモーメントプリーズ!塩加減も絶妙。ヴェリーグッ。私にぴったりの上品で控えめなお味。労働者階級じゃあるまいし、これに何かを掛けるなんて信じられない。まさにこのお味よ。」
「今、マヨネーズを持ってくるよ」
「いらない。むしろ、ちょっと味が濃すぎるくらいよ。我が家はもっと薄味だから」

 コント仕立てにしてみるとこんなところでしょうか。
 確かに、あの味は「上品」とか「伝統」とか、あるいは「違いの分かる」とかいう能書きがついて初めて成立する「奥深い」ものでございました。
 とはいえ、5月の終わりからこの時期にかけていつも久しぶりにあれをやってみようかななんて思ってしまうのです。
 これも隠していても表れてしまう血のゆえでしょうか。

 なんて、とんでもないオチがついたところで本日はこれまで。
 ご退屈様でした。

 お久しぶりでございますが、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。
 前回の更新が昨年の11月14日。
 何と半年ぶりの更新でございます。

 1と月、2た月なら「いやぁー、皆さん元気でしたか」ってな調子で涼しい顔して更新もできるのですが(そういう性格ですが、何か)、半年となるとなかなか苦しい。
 寅さんも実家に戻るのは毎度毎度なかなか大変そうでしたが、少し気持ちがわかるような気がします。

 「半年間こんな小欄の更新ひとつできないほど忙しかったのか、お前は何様だ」という気もしますが、どうもあいまいな記憶で申し訳ないのですが忙しかったような気はします。
 
 では「怒涛の6カ月」だったのか
 いやまぁ、なんというか…
 「激動の…」
 …少し、…大げさかな…

 ちょっと本業と私生活が充実して、バタバタする状態が半年続いたというか(今も続いているのですが)…

 おまけに、自分の性格上、「今日はこんなものを食べました。【写真】ね、おいしそうでしょう。ぜひお試しください」みたいな文章を書くのがお好みじゃないのも相まって、「早く更新しなきゃ」から「間が空いちゃったから少しは濃い話じゃないと」に移り、「これだけ空くとよっぽど大ネタじゃないと」と、だんだんハードルが上がっていき、ちょっとやそっとじゃ書けなくなってしまった。
 まさに自縄自縛でございます。

 でも、人間やっぱり謙虚がいちばん!
 そんなに皆様をあっと言わせる話などあるわけない。

 相変わらず、生徒様の指導とお問合せの対応で充実した日々を過ごしております。
 4月は久しぶりに3週間休みなしの勤務という荒業にも挑戦し、人間気力さえあれば少々の無理はできると感動しました(できればもう経験したくないですが)。
 アベノミクスの恩恵も薄い愛媛松山の地で、現在、生徒様保護者様から熱いご支持を頂戴できているというのは本当にありがたい話で、4年前の開塾のころから思えば夢のような話です。
 古人曰く「初心忘るべからず」
 謙虚な気持ちを忘れず、一人一人の生徒様、保護者様と真正面から向かい合える塾、講師でありたいと心に誓い再開のご挨拶といたします。

 こんな感じで終わりましたが、今夏の参議院選挙に出る予定はありませんので皆様ご安心下さい。優れぬ天気が続きますがどうぞご自愛下さいませ。

 といったあたりで本日はこれまで。
 ご退屈様でした。

 お久しぶりでございます。
 ここしばらく、新規入塾の生徒様、保護者様にもたくさんお越しいただき、あわただしい日々を過ごしておりました。
 本当に去年と比べると雲泥の差。
 日々、感謝、感謝でございます。

 ただ、そう感謝ばかりもしていられないのは、先日まで私どもリンデンバームシューレの目の前で行われておりました”花園町社会実験”(hanaeとかいうタイトルがついておりました、なんじゃそら)でございます。他県でご覧の皆様のために一言申し上げますと、私どもリンデンバームシューレがあります松山市花園町は、よく言えば市の中心部にありながら閑静な趣のある地区、はっきり言うと裏通り的なたたずまいの街並みなのです。ですから、うちだけではなく、「寺子屋」「日能研」などの錚々たる塾が立地しておりまして、夜になると送り迎えの車で前の通りはちょっとした渋滞になる時間もあるほどです。

 その花園町を活性化してやろうと、去年から松山市が取り組んで下さっておりますのが花園町活性化事業でして。
 ただ、この活性化事業の内容というのが…。
 一言で言うと、B級グルメの屋台を出して、路上に席を置きそこで酒を飲みながら食べるという、なんというかお粗末というか時代錯誤というか、きょうび路上での喫煙でさえはばかられる都会にお住まいの皆様にとっては驚愕の内容なのです。まぁ、松山は河原で「いもたき」をやる習慣が古くからあるので、路上で酒を飲むのはあまり抵抗がないのかもしれませんがそれにしても…。しかもその期間は年間10日…。これで街が活性化するなら夕張市も明日からやればいいと思いますが、子供が考えてもそんなものが何の効果も生まないことはわかる理屈で。税金だけ使って効果ゼロ。こんなの民間企業なら死んでもやるまい、という企画が2年連続で行われているのが田舎の不思議。なんというかそんな市に税金を納めている我が身が情けなくなってくるような馬鹿さ加減なのでございます。

 しかも、内容が粗末なのでせめて音くらいは、ということでやたらマイクのヴォリュームを上げるのでそのうるさいこと…。
 酔っ払いは大きな声を出すわ、マイクはうるさいわで、生徒から苦情を言われて、文句を言いに行っても現場にいるのは、「そうですか」「頑張ります」ぐらいしか言えないような職員ばかり。怒り心頭、怒髪天を衝く(ないけど)とはまさにこのことでございます。
 ただ、昔から「泣く子と地頭には勝てぬ」とも申しまして…。確かに、2年連続でうちの前が会場になりましたが(他にいくらでもスペースはあるのに)、それも我が身の不運と思って泣き寝入りするべきなのか…

 とも思いましたが

 やっぱりこの税金の使い方はおかしいよ、市民の皆様!
 税金は市役所の職員の面白おかしい道楽のための遊興費ではないんじゃないの!!
 
 ということで、イベントの主催者である松山市都市整備部都市政策課から「花園町通り社会実験に関するアンケートご協力のお願い」が参りましたので、塾生・保護者の皆様、そして我々職員の率直な感想を申し上げることとし、本日、自由民主党松山市議会議員川本光明先生とともに、松山市都市整備部 白石正治都市政策課長に65通のアンケートの回答を手渡して参りました。課長さんのお言葉によれば現在80通ほどの回答が集まっているそうなので、その内容がいかなるものであっても、うちの回答で可否同数には持ち込めそうです。


 ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。

 ただ、今回の花園町空間改変事業に関して、私どもは(去年と違って)本腰を入れて市の姿勢を見極めたいと考えております。特に政治的活動をしたいわけではございませんが我が身に降りかかってきた火の粉は払わなければなりません。経過は追ってこちらでご報告申し上げます。皆様どうぞご期待下さい。

 というわけで本日はこれまで。
 ご退屈様でした。

涼風献上

 朝夕などそろそろ秋の気配が感じられる今日この頃皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますか。

 しっかし、今年の夏も暑かったですね。というか熱かったって感じで。エア・コンディショナーを発明した方のお名前は不明にして存じ上げませんが、心から感謝申し上げます。あなたのおかげで今夏も生命をつなげました。

 さて、エアコンといえば皆様はもうとっくにご存知かもしれませんが、野村総研が発表した「エアコン1台を止めることで期待できる節電効果(1時間あたりの消費電力)は130W、対して一般的な液晶テレビを1台消すと220W。24℃に設定したエアコンよりもテレビを消す方が節電効果が高い」というレポートは今夏の私にとって最もショッキングなニュースの1つでした。

 なんせ、今までエアコンといえば消費電力の王、対してテレビの消費電力などは微々たるもの。節電と言えば28℃にエアコンを設定した生ぬるい部屋でテレビを見ること、と思い込んでいた私にとっては青天の霹靂、まさに、泥棒を捕まえてみればわが子なり。裏切りというか驚きというか、私の20年近いエアコンをつけるときの後ろめたい気持ちはどうしてくれるんだと申しあげたい。
 去年までは夏になるとテレビのニュース番組でも「どうやって家庭の消費電力を減らすか」なんてコーナーをしょっちゅうやっていました。やれエアコンは28℃に設定しろの、やれ冷蔵庫のドアは素早く閉めろの、というあれです。だいたい真夏に28℃でエアコンをつけてもさっぱり涼しくなんかならない。それに冷蔵庫だって、中に何が入っているかゆっくり確認しなければならないときもあるのに、人前でそれをすると非国民みたいに言われる。思えば理不尽な目に遭わされたものです。
 それがなんと、そんなくだらない情報を教えて下さったそのテレビを消すことが最も消費電力を減らす方法であったとは…お釈迦様でも気付くめえ、というやつです。
 そういえば、今年は「どうすれば消費電力を…」なんてニュースのコーナーは見なかったような気がします。そりゃそうでしょう。「今すぐこの番組の視聴をやめることが最も効果的な節電対策です」とはいくら公正公平を標榜するNHKのニュースでもなかなか言いづらいことでしょうから。
 まあ、今まで騙されていたこちらも愚かといえば愚かのきわみでございますが、長生きをすると面白いことに出くわすものでございます。

 おかげで私も今夏はテレビを消し、エアコンをつけ、ゆっくり読書をしながら節電に貢献することができました。
 そして、ふと感じたのは…

 これだけ節電だ、原発止めろだとやっているときに「 24時間の例の番組をせんといかんか」ということでして…。
 確かに、節電よりも大切なものがあるといえばそれまでですが、ただ、電力需要の高い時間帯のぶち抜きの放送は控えるとかはできないんですかね。24時間連続して放送しないと、世の中の不幸な人々を救えないという決まりがあるわけでもあるまいし。もう少し番組制作者の皆様も「愛」をもってお仕事なさった方がいいと思います。そして、テレビ番組の制作が結局、莫大な電力消費の音頭取りをしているんだという自覚もお持ちになるべきだと思います。
 そして、視聴者である我々も「つまらない」と思ったら即座にテレビを消すべき、「特に昼間は」というのが私のこの夏の自由研究でございまして…、まあ、くだらない番組を見ながら怒って熱くなるより、涼しいお部屋で昼寝でもした方がよほど生産的ですよ

 なんて憎まれ口など叩いたところで本日はこれまで。
 ご退屈様でした。

 お盆休みも終わりましたね。
 お盆といえば、亡き人を偲ぶ季節。
 
 実は今年の春、高校時代の親友Tが亡くなりました。
 たまたま買い物に行ったコンビニでくも膜下出血で倒れたそうで、家族も死に目に会えないほどの急な最期でした。弟さんが残っていた携帯の発信記録から私にも連絡を下さったのですが、あいにく仕事が忙しい時期だったので葬儀に参列することもできませんでした。
 Tは人情に厚く、頭も切れ、行動力もあるヤツで、高校時代の数少ない友人の一人でした。
 学生時代から広告関係の仕事をして、その方面ではかなりの有力者との人脈もあったようなのですが、いかんせん、半端じゃない酒癖の悪さが祟り、ここ数年は八方塞りの状態が続いていました。土日の昼間に携帯に電話がかかってくることが多く(つまり、こっちはこれから仕事なのですが)、呂律も回らないほど酔っ払って「今度は必ず儲かる仕事だ」と一生懸命仕事の内容を説明してくれようとするのですが、なんでスポンサーでもない私にそれを聞かせたいのかも分からず、こちらもこれから仕事ということで気が張っていることも手伝って「お前のその手の話は聞き飽きた。だいたいお前はその酒癖を直さなければまたしくじるぞ」などと、今さら本人にもどうしようないことだとわかっていながら厳しい言葉をぶつけたりしていました。それでも月に1度位は、向こうから電話をかけてきて相変わらず同じような決意発表をして、最後に必ず「松山に行きたいなあ。今度儲かったら必ず松山に行くから案内してくれ。奥さんにも紹介してくれ」と決まりのように言って、電話を切るのでした。
 
 ここ最近、私はTの電話を受けるのが辛くなっていました。若いときは、あんなに思ったままに行動し、周りからも評価され、誇りを持ち輝いていたTが、うらぶれていくというか、色褪せていくというか、何よりTが自信と誇りを失っていくように見えるのが堪らなく辛かったのです。そんな中で届いた訃報でしたので、確かに若すぎる死かもしれないが曲がりなりにも自然なお迎えが来たと言うのは悲しいこととばかりも言えないかもしれない。Tがこのまま不本意な生き方を続けることから解放されるというのは彼のためにはかえってよかったのかもしれない、などと思っておりました。

 そんな中で迎えたTの初盆の夜。妻は里帰りして自宅に一人になった私は、夜半にふと、あることに気づきました。

 Tがこの世からいなくなったということは、高校時代の私の記憶の多くの部分は日の目を見ることがなくなるんだなあ…
 つまり、
「でよ、俺がそん時あのババァにこう言われてさあ」「そうそう」とか、
「あいつがあんましエラそうなもんだから俺もカチンときてこう言ってやったわけよ」「へぇ」などという会話も、もうする機会がないということなのか…

 ということは、俺の高校時代の思い出のかなり多くの部分は今すぐ「消去」ボタンを押して消してしまってもまったく支障はない………なるほど………

 なんというか愕然というか、呆然と言うか。
 いや確かに、Tの死を聞いた直後にそれに気付かなかった自分の馬鹿さ加減にも愕然としましたが、それよりも記憶が自分の意思と無関係に封印されようとしているという事実そのものに驚いたのです。なるほど、お年を召した方が友人を亡くすとこたえるとおっしゃるのはこれか、とおぼろげに思いました。
 友をなくすということは、その友と過ごした自分の思い出もなくすということなんですね。

 エアコンの効いたひんやりした室内で、迫りくる寂寥というか、寂寞というか、なんとも物淋しい思いにしばし圧倒されるようでした。

 ただ、ただまぁ、そうはいっても「この世では」というだけで、私も未来永劫生きるわけでもなし、「あの世で」一杯やりながら話す機会もあるだろう(何を一杯やるのか知らないが。甘茶かな)。うん、うん、きっとそうにちがいない。
 とすれば、それまでTよ。そちらでのんびり待っていてくれ。

 あ、ついでに言っておくけど、遅いからとか言って途中で会いに来てくれたりしないでもいいからね。別にお化けが怖いとかそういうのではなく、なんというか、うーん、つまり、そうそう、俺は急かされるのが嫌いだから、ホラ、お前も知ってのとおり、ね。会いに来たらその場で絶交だからそこはよろしくね。生きてるとか死んでるとかそういう言い訳は聞かないから。心配しないでも近いうちに(…近いうちもマズイか、ホントに近いうちになると困るし、こないだ総理も使ってたし)、遠くない将来にそちらにうかがうからね。それまでご機嫌よろしゅう、ごきげんよう、アディオス!

 と、亡き友へのご挨拶も終わったところで本日はこれまで。
 ご退屈様でした。

 まだまだ残暑が続くようですが皆様お体ご自愛下さいませ。

 メディアリテラシーという言葉があります。別段そんなに難しい言葉ではありません。高校1年生が「情報」の時間に習う言葉です。
 ちなみに、ウィキペディアによれば「メディア・リテラシー(英: media literacy)とは、情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと」とあります。

 最近、「次長課長」の河本さん、「キングコング」の梶原さんについてのTVでの扱いを見ていてふとこの言葉を思い出しました。

 何というか、コメンテーターの皆さん、びっくりするほど河本さんや梶原さんに同情的ですよね。人によっては発端となった片山さつき議員の告発の方が個人情報保護の観点から問題だと言い出す始末。ワイドショーのコメンテーターなどというのも、本業がなくてあれだけで食べていこうと思えばかなり「不安定な」お仕事なのでしょう。なんとか、吉本興業に睨まれたくない、共演NGにされたくないといった本音があからさまに見え、いじらしささえ感じてしまいます。
 そして、吉本興業によく思われたいというのは浮き草稼業のコメンテーターだけではなく、大テレビ局でも同じなのが驚きです。確かに、近年なるべく製作費が安くて高視聴率の番組をということで「お笑い」、なかでも吉本興業に頼りっぱなしの局サイドから見ても、吉本興業から後々恨みを買ったりしては大変と、まさに触らぬ神にたたりなしといった状態。
 現在の吉本興業は、少なくともテレビで自分の悪口は言わせないだけの力はあるんですね。エライものです。

 ただ、メディアで伝えられなければ事実そのものがなくなるわけではありません。つまり、今回の吉本興業のタレントさん達による生活保護不正受給の問題は視聴者のメディアリテラシーが試されているのです。この問題は決してタレント夫婦の痴話げんかとか、子弟の薬物使用といったような、有名人の私生活を興味本位で覗く類の話ではありません。今や、国家予算の1割に達する生活保護費の不正受給の問題を議論する突破口になるべき事件であり、それをなぁなぁで素通りしようとしているTVメディアの姿勢は根本的におかしなところがあり、私たちはメディアの姿勢そのものを問うべきだ、と思うのです。

 ちなみに、民法877条1項には「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある(つまり、親が生活に困っていれば少々自分の生活を切り詰めてでも仕送りをしなければならない)」とあり、また、河本さんが過去の出演番組で愛車が1000万円以上するポルシェであることや、時計は100万円超のフランク・ミュラーであり、今年の正月休みは家族揃ってビジネスクラスでハワイへ旅行に行った(今回問題になっているご母堂も共に)こともお話になっておられます。
 それでいて、岡山の福祉事務所が母親にくれると言ったんだから受給に問題はないと言い張るのは強弁というものでしょう。要はその福祉事務所がぼんやりしていてすべき調査をしなかったのであって、決して貰っていいお金を貰ったわけではない。こんな理屈が通るのなら「振込詐欺」だって被害者がやると言って振り込んでくれたお金を貰っているのであり無罪だ、ということになってしまいます。寝言は寝てから仰るべきでしょう。

 今こそ我々市民の正義の感覚をTVメディアに知らせてやらなければならない。絶対に吉本のタレントが出ている番組は見ないぞ

と言いたい。言うべきだ。本当に、でも、ああ…それなのに…

 確かにアホなコメンテーターが出ているワイドショーは見なくても困らないのですが、私の数少ない娯楽が晩酌をしながらのお笑い番組の鑑賞でして、それもすべてダウンタウンの出ている番組で…なんというか平重盛の「忠ならんと欲すれば孝ならず 孝ならんと欲すれば忠ならず」といったところでして、いったい私はどうしたらいいのでしょう?ここしばらく、ビデオ録画したダウンタウンの番組を見る際は常に罪の意識を感じなければならないのでしょうか?

 せめてお笑い番組くらい肩の力を抜いて見させてくれないか、頼むよ! お願いっ!! と、最後はなぜか哀願調になってしまったところで本日はこれまで。
 ご退屈様でした。

 何から伝えればいいのか
 わからないまま時は流れて♪

 ご存じ、小田和正先生のヒット曲「ラブストーリーは突然に」の冒頭でございます。

 私もここ数カ月、ラブストーリーとは縁がなかったのですが、次から次へと流れ込んでくるお仕事の波に呑み込まれてしまったような日々を送っておりまして、気がつけばもうGWも終わり、そろそろ梅雨入りかという季節。今年はこまめにブログを更新すると書いた正月の更新が最後という何とも情けない有様。

 で、冒頭の「何から伝えればいいのか」のフレーズを思い出したような次第です。

 おかげさまで今年は、東日本大震災の影響をまともに受けた昨年と異なって生徒様の募集も順調に進み、学年によってはそろそろ満員札止めを出した方がいいような状況でございまして、昨年のことですから隔世の感というのも変なのですが、経営面に関してだけは去年が嘘のような感じすらします。

 ちなみに現在私は、センター現代文の授業を週に4コマ、二次対策現代文の授業を週に2コマ、現代文の基礎・入門講座を週に1コマずつ、予備校の国語全般の授業を週に1コマ、そして地理の授業を週に2コマ、倫政を1コマ、日本史、世界史を週に1コマずつ担当し、それ以外に個別指導、生徒様・保護者との面談、業者さんとの打ち合わせなどを行っております。何というか、キャパシティを超えるという感じはしないのですが、毎日メモリーのギリギリまできっちり使っているな、という気はします。おそらく、こういうのを毎日が充実しているというのでしょう。ありがたい話です。去年に比べれば、本当に天国のような話です。少々お疲れ気味ではありますが…

 そんな充実した毎日の一環として、本日は朝8時30分に予備校の鍵開けのために出勤しました。
 おかしな話、うちの塾が開塾して今年の8月で丸3年になるのですが、午前中に塾に来たのは今年が初めてです。今日で鍵開け当番は3回目なのですが、始めて出勤したときはそれこそ、夜とまるで印象の異なる清々しい雰囲気に少々驚いたほどです。


 

 写真でうまく伝わるか若干心もとないのですが、皆様にも今朝の清らかな空気をおすそわけ申しあげます。
 というわけで本日はこれまで。ご退屈様でした。

 新年明けましておめでとうございます。
 旧年中は私の拙い文章をご高覧いただきありがとうございました。本年もよろしくごひいきのほど御願い奉ります。

 で、年末の話なのですが、ドラマ「坂の上の雲」最終回、ご覧になりました?
 なんだかわけわかんないことになっていましたね。莫大なお金と膨大な時間をかけて、あの最終回とは…やっぱりドラマは脚本がすべて。脚本の野沢尚さんが自殺した時点で危惧されたことが現実化したのでしょうが…ただ、それにしてもあのエンディングとは…

 ということで本日は、暮れにケーキの話でとんでしまった秋山大将のエピソードをご紹介申し上げ、ブログのスタートといたします。
 
 松山市上野町に生涯学習センターという施設がありまして、割と不便な場所にあるので平日の昼間などはガラガラです。一時そこの図書室に自習のために通っていたことがありました。館内には郷土出身の偉人、有名人にまつわる品が展示されており、秋山大将の軍服その他も展示されておりましたが(現在は坂の上の雲ミュージアムに移っていると思いますが)、その中に秋山好古大将伝記刊行会が昭和10年に出版した「秋山好古」という本がありました。なんと驚いたことにその本は館外持ち出しこそ禁止ですが、室内では自由に読ませてくれるという太っ腹。しかも、その内容が面白い。小説「坂の上の雲」の秋山大将に関するエピソードもほとんどはこの本がタネ元です。ただ、この本自体が750ページもあるので、司馬先生も泣く泣く捨てたと思われるエピソードがいくつもありまして、今日はその中から現在も私が覚えているお話をご紹介申し上げます。

その1
 日露戦争での1年有余に及ぶ出征中、秋山大将は2回しか入浴しなかったというエピソードは小説にも描かれております。副官(高級軍人の秘書役)がどれだけ入浴を勧めても「戦場に湯に入りに来たんじゃない、私が入る分があるんなら部下たちに入らせてやってくれ」の一点張りで決して入浴しなかったそうです。ただ、副官がしつこく入浴を勧めたのも親切だけではなかったようで、つまりまぁ、臭かったんだそうです。おそらく公園で暮らしてらっしゃる方々と同種の臭いだったのでしょう。その人とずっと行動を共にしなければならない副官にとって、この入浴拒否はなかなかこたえたようです。

その2
 あるとき、千葉の内陸部で軍事演習をし、周囲の民家に泊まったときの夕食に鰹の刺身がでたんだそうです。別の部屋で食事をとっていた大将の部下がその刺身を召し上がると「舌にピリッときた」別にワサビや辛子をつけすぎたとかそういう話ではなく、つまり、まぁ刺身が傷んでいた、腐っていたということです。慌てて秋山大将の部屋に行きお膳の上を見るともう刺身がない。「閣下、その刺身は…」と言いかけると秋山大将はそれを制して「まあええよ」このあたりではこれくらいの鮮度が当たり前なのだろう。せっかく地域の人が好意で出してくれた食事の鮮度を云々すべきではない、と大略そのようなことをおっしゃって悠々としてらっしゃったそうです。

 皆様いかがです?さすが軍人さん、1年に2回しか入浴しなくても平気、腐ったものを食べても分からない。これくらいじゃなきゃ、ああいう偉大なことはできないんだな、と感じさせるではありませんか。

 ところが、「秋山好古」の巻末に掲載されていたご令嬢の「父の思い出」を読み驚きました。それはご家庭における秋山大将について「父は家庭では清潔な人で、身だしなみもきちんとした人でした。軍人にしては珍しく軍服の下に(外からは見えないのに)必ずホワイトシャツ(現在のYシャツのこと)を着けていました。また、食事の味付けにもよく気がつく人で、家族の楽しみは父に連れられての食べ歩きでした」と書かれていたのです。

 エーっ!! ということは秋山大将は、入浴嫌いでもなく、味覚音痴でもない人だった…ということはある意味、本当に部下に入らせるために入浴せず、地域の人を傷つけないために傷んだ刺身も食べたのか…と、しばし呆然といたしました。そして、戦場でも酒を手放さなかったという有名なエピソードも、デリケートな神経をいくらか麻痺させて冷静な判断を下すためにだったのかもしれない、と改めて考えさせられました。

 秋山大将はご家庭の経済的事情で軍人になる道を選ばれた方で、もともと軍人志望ではなかったようです。経済的余裕があれば、教育者の道を選択されたかったのかもしれない。もともと松山を離れたのも大阪の師範学校に入学するためですし、晩年も現在の松山北高校の前身である北予中学の校長を務め、福沢諭吉を尊敬して自身の子のみならず親類の子まで慶応義塾で学ばせようとした、といったエピソードがそう物語っているように思います。

 その秋山大将が軍人の鑑、最後の古武士と皆から称されたのは、軍人としてそうあらねばならないという理想像を常に演じ続けたからではないか。そう思う時改めて大将の偉大さが心に染みます。

 最後にもう一つ、エピソードを。
 ご令嬢の先生が家庭訪問で秋山家を訪れたとき、飾ってある虎の毛皮に感心し「閣下、見事なものですな」とおっしゃた。その毛皮は朝鮮駐剳軍司令官を務めた秋山大将に朝鮮国王から贈られた国宝級の物だったらしいのですが、秋山大将はその言葉を聞くと「気にいったのなら差し上げよう」といって自ら毛皮をくるくる巻いて紐をかけて、恐縮する先生に土産に持たしてしまったそうです。
 その後、毛皮がどうなったのかは失念してしまいましたが、その先生の驚く顔が目に浮かぶようです。

 おそらく、軍人たる者は常に敵中への突撃を意識すべきである。そんなときに物への執着があれば判断が鈍る。だから、常に持ち物を褒められれば人にやる、ように自らを鍛錬なさっていたようです。ちなみに、日露戦争前に産まれたお子様達は大将の膝の上に抱かれた記憶が全くなく、戦後産まれた五男だか六男さんが抱いてもらっているのが非常に羨ましかったと書いておられました。
 これなども平素から突撃のことを考え、周囲への執着を断ち切ろうと努力なさった現れなのでしょう。

 本当に明治の人は偉かった。いや明治の人というか、秋山大将は幕末の生まれですから江戸の人という方が正しいのかもしれませんが。

 「降る雪や 明治は遠くなりにけり」
 
 常に自らを鍛錬してあるべき理想像にまで高めた秋山大将を始め、明治の人々の後ろ姿を眺めるとき、あまりの偉大さに自分と同じ人間なのか、と呆然とするような気がいたします。しかし、私も同じ伊予人の末輩、遠く及ばぬとしても少しでも近付かなければ…なんて柄にもなく決意などしたところで、本日はこれまで。
 ご退屈様でした。

 本年もどうぞよろしくお願い致します。

 「もーろびとーこぞーりてー♪」
 街もクリスマスカラー一色ですね。日用雑貨などを買いながらクリスマスソングをBGMで聞かされると、何となくあせらされているような、今年の反省を迫られているような、つまりまぁ一言でいえば非常にあわただしく、複雑な心境にさせられる気がするのは私だけではないと思いますが皆様いかがお過ごしですか。

 ただ、私どもにとってはこの季節、今年の反省などしていられません。センター試験まで約20日。「日々是決戦」「皇国の興廃此の一戦に在り」の真っ最中なのでございます。入塾時期は生徒さんそれぞれ異なりますが、長い生徒で3年、訓練に次ぐ訓練、準備に次ぐ準備をしてきた成果を発揮する舞台はもう目前です。ここで直前期の過ごし方を失敗して今までの努力がすべて水の泡となっては泣くに泣けません。俗に云う「九仞の功を一簣に虧く」「港口で船を割る」というやつです。
 もっともこの季節、クリスマスに大晦日、そしてお正月、とイヴェント目白押しでございます。特に、私のように40を過ぎてしまうとどうでもよくなるのですがクリスマスの誘惑はなかなか侮れない。「聖夜」という言葉のイメージもさることながら、「ケーキ」がセットになっているのが曲者でして、「一日くらいイイや」でクリスマスパーティに参加、その後の年末年始の行事も順調にこなしてしまい、体勢を立て直せないままセンター当日を迎えた結果、実力の7割程度しか出せなかった受験生たちも過去に数多く拝見いたしました。

 どうにかして、このなし崩しの第一歩を食い止めなければ今まで頑張ってきた生徒さんだけでなく、われわれ講師の努力も報われない。
 どうすればいいだろう?

 「そうだ!行事とケーキをバラしてしまえ、ケーキを先に食べちゃえ!!」


 というわけで、我々の塾では毎年クリスマス前に、クリスマスケーキを食べる行事「プレ・クリスマス」を行い、以後はクリスマスのことはきっぱり忘れてセンターまでまっしぐら、で年末年始を駆け抜けております。
 おかげさまでこの行事も3回目。ケーキは当然我々オーナーからのプレゼントですが、喜ぶ生徒の顔を眺めると決して高いものではございません。 
 

 どうぞ神様、この子たちの今までの努力が実を結びセンター当日に自己最高得点をマークできますように。

 と、お祈りも済んだところで本日はこれまで。
 ご退屈様でした。

 スペシャル大河ドラマ「坂の上の雲」絶賛放映中でございます。
 伊予松山出身の「日本騎兵の父」秋山好古、「バルチック艦隊をパーフェクトゲームで打ち破った天才海軍参謀」秋山真之、真之の友人でもある「近代俳句の祖」正岡子規の3人が主人公の、司馬遼太郎先生の同名ベストセラー小説の映像化。
 そうでなくとも、ただひたすら感動の物語である上に、見ている場所が舞台の松山ときてはもうたまりません。毎週テレビの前で釘づけになって応援しております。
 若きエリートたちの崇高な使命感、庶民の国家に対する信頼そして献身、それにこたえる指導者の英知と胆力…全て現代では見られなくなったものばかりゆえについつい漏れてしまうこの一言「明治のひとは偉かった」

 いやぁー、NHKに受信料払っていてよかった。ホントNHK素晴らしい、よくやった、とほとんど満足なのですが…ちょっと1ヶ所気になる点がございまして、それは…

 

 

 

 

 

 

 
「なんで秋山好古がフサフサなんだ」

ということでございます。

 秋山好古閣下は、確か30代にフランス留学した折、チフスを患い高熱が続き生死をさまよって髪がごっそり抜けてしまい、終生御髪(おぐし)がおありにならなかった。早い話がまぁ、一生つるっぱげであったというのは有名な話で、残された写真も当然そういう写真ばかりですし、司馬氏の小説でもそう書かれております。それなのに、ああ、それなのに、なぜ阿部寛はフサフサのまま閣下の役を演じているのか。しかもこのドラマはかなり時代考証がしっかりしていて、細部までリアルな再現を試みたのがウリであり、かつ画面からもそれが伝わってくるのに、なぜハゲだけは歴史上の事実を捻じ曲げてまで無かったことにするのか。

 

 それはつまり、ヒーローがハゲではまずいということなのか。それともそういう細かいところは気にしないで見てほしいということなのか。でもそんなことを言い出したら今後、視力両目2.0の伊達政宗やリーゼントヘアの一休禅師もありということになるのか、そのへんNHKはどう考えているのか。

 これは別に、私がこの小説がドラマ化されるのを聞いたときに「ハゲがヒーローのドラマができるらしいから、その放映をきっかけに世の中のハゲに対する視線が少しは暖かくなるんじゃないか」といったような不純なことを考えたから怒っているのではございません。断じてそうではございません。そうではなく、ただ歴史を愛する者として歴史の改竄が許せない、つまり、なんというか…

 まぁ…ただ私が見てもやっぱり主役がハゲではドラマが締まらないとは思いますが。絵面(えづら)として髪があったほうがきれいですよねえ…。なんというか、ハゲってホントせつない。本人にとって自分の容姿が変わる、しかも自分の意思に反して、という思いっきりシリアスな事件なのにモノが髪というだけで笑い者、周囲の同情ゼロ。しかも歴史的事実を変えてまでなかったことにされてしまうのか、と頭部に吹きつける木枯らしの寒さが身に染みる今日この頃でございます。

 と、本日は秋山好古閣下の感動的なエピソードを皆様にお伝えしようと思って稿を始めたのに、ついつい愚痴全開で突っ走ってしまいました。よって、秋山閣下のお話は次回申し上げることにして、本日はこれまで。
 ご退屈様でした。

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