昔から「家は3回建てて、はじめて満足のいくものができる」とか云われます。
つまり、最初は「少し金の余裕もできたから、そろそろ家でも建ててみっか」みたいな調子で建ててみるができ上がったものを見ると、自分のイメージとは大違い。ここも不細工、あそこも不便みたいなオンパレード。
そこで2回目は、いわば「羹に懲りてなますを吹く」式に慎重に慎重に、失敗だけはしないように心がけて建ててみるが、できたものは何かが足りない。個性がないというか、単に失敗してないだけというか…
よし、3度目の正直。少々リスクを冒しながらも個性も主張した設計。費用も2度の失敗でだいたい相場も分かっているので掛けるところにはウンと掛ける代わりに、どうでもいいところはバッサリ削る。かくして、絶妙のバランスで機能性と美しさを備えた、自分だけの、いわゆるオンリーワンの城ができ上がる、ということらしいのです。
うちも2年前の開塾のときは、「とりあえずホームページを作んなきゃ」みたいな感じで、具体的なホームページをつくるメリットは何なのか、そしてそれにいくらなら掛けてもいいのか、みたいなことは何にも考えていませんでした。
お願いした業者さんもこちらのそういう状態を察して下さって、あれもつけましょうか、ついでにこれもつけときましょうか、みたいな提案をして下さる。こちらもわけがわかっていないので、ああ、それもいいね、これもかわいいね、みたいな調子で作業が進んで、何はともあれホームページはでき上がる。
そして、しばらく使っているうちに、だんだん疑問が浮かんでくる…「このホームページをネット上にアップして、URLを宣伝する意味はあるのか…」、つまりこちらの思惑通り新規のお客様がホームページにアクセスして下さったとして、このホームページを見てぜひこの塾に通いたいと思うだろうか…少なくとも俺は思わんが(アカンがな!)。
ということで、ホームページをつくって使ってみて、ようやく何のためにホームページをつくるのかがわかったわけです。
ただ、そうはいってもうちみたいな零細企業がコンサルタントにお客の集まるホームページをつくってもらうわけにもいかず、具体的にどうすればお客様が通いたいと思うホームページができるのかという名案も浮かばずで、悶々とした日々を送った結果ようやく、「自分がこの塾について知っていることをすべて形にしてしまえ」と一応の方針が決定したわけです。
そして、制作も素人の私どもにふさわしい大ベテランを配することとし、ここ愛媛の地でホームページをつくり続けてはや10年という老舗、株式会社コモテックさんにお願いすることにしました。担当は営業チームリーダーの荒木さん。
打ち合わせも丁寧で、出来上がりのデザインも美しくて速い。しかも値段もお手頃。いいことづくめで、悪いところといえば、あまりに進行がスムーズすぎてこちらの原稿が追いつかなかったことくらい。
ちなみに新ホームページの公開は順調にいけば数日後、9月あたまの予定です。
いやぁー、この夏はおかげで文章をみっちり書かせていただきました。文句を言いたくなるくらい書きましたが、自分のアイデアで自分の仕事の原稿なので言っていく先がない。残業手当もボーナスも出ない(当り前か)。まぁ、経営者というのも思えば大変なものなのですねぇ…
世の中の社長さん、どうぞお体をおいたわり下さいませ、としんみりしたところで本日はこれまで。
御退屈様でした。
ごぶさた致しております。
皆様、いいお盆休みをお過ごしになられましたか?
私はと申しますと、夏休みの帰省を利用して会いに来てくれた卒業生との再会に次ぐ再会で、おかげさまで教師冥利に尽きる日々を過ごしております。
いやぁーみんな、少し見ないうちに立派になって。先生も大感激です。
といった事情で、ブログの更新が遅れてしまい、読者の皆さまから「生きてるのか?」「やる気がないならやめたらどうだ」などなど温かい叱咤激励を頂戴した上に、本日はこのブログの運営会社からも「書く内容に困っているならこんな話題で」などと提案までして頂く始末。
事ここに至って、私もようやく夏休みの終わりを認めることと致しました。
ということで、本日よりブログを再開いたします。
一生懸命更新いたしますので、皆様どうぞ以前に変わらぬごひいきのほどをよろしくお願い申し上げます。
ただ、ブログの更新が遅れておりましたのは単に卒業生たちと遊んでいたからだけではございませんで、2011年下期のPR戦略の仕込みが大詰めになっていたからでもありまして。というわけで本日はそのご報告など。
まず、松山市駅(松山をご存じない方のために申し上げますと、松山市を通る郊外電車、松山市を循環する市内電車双方の起点駅です)の2・3番線コンコースにうちの看板が設置されました。こんな感じです。
左手上から3番目の緑の看板がうちです。看板の下にはパンフレットラックも付いています。
いかがでしょうか。
そして、昨日から市内主要高校でのチラシ配布を始めました。今回のチラシはこんな感じ。
さらに、今月末にはホームページを全面リニューアルします。こんな感じ。
今回のホームページリニューアルはかなりうちにとって思い切った決断でありまして…というわけでこの話の続きは次回申し上げます。本日はこれまで。
御退屈様でした。
明かりが灯いているのは自分の部屋だけだった。
「じゃあ、あれは何の音だったんだ?」
と思いながら自分の部屋を見上げた私はギョッとした。
閉めたカーテンに立っている人のシルエットが映っている。
今までいた部屋である。途中で誰かとすれ違いもしなかった。服をハンガーで窓際に吊ったりもしていない…とすれば、お化け関係か…いや、俺には霊感というやつが全くない。そっちは安心だ、などと暗がりの中で考える間もなく、すっとそのシルエットが右から左に動いた…
滑るような、非常になめらかな動きだった。
「疲れてるな」と私は自分に話し掛けた。それ以外に理由がない。疲れてるから幻を見ているのだ。
そんなに疲れるほど仕事はしていないんじゃあ…というもう一人の自分の声は無視することにした。
生まれて初めての幻を見るほど今の俺は疲れているのだ。
こうして自分の中では衆議一決、「先ほどのは目の錯覚であった」という結論が出たところでそれを確認するためにもう一度自分の部屋を見上げた。
「これで何も異変がなければ自分の部屋に帰れる。今ならまだ自分を自分で説得できる。頑張れ、俺の目…」
しかし、願いもむなしくシルエットは左から右に滑っていった…
「非常に疲れてるな」と私は自分に念押しをした。それ以外に理由がない。その理由でなければ困るのだ。
なぜって、現在は午前2時半。近所のコンビニは12時~6時までは閉店しているし、いちばん近いファミレスは1㎞先である。近所に知り合いもいない。おまけに給料日前なので懐も寂しい。あの部屋に帰る以外の選択肢はないのだ。
もう一度だけ見上げて、それで影が見えなかったらすべて目の錯覚だったことにしよう。
重大な決意を込めて見上げた部屋であったが、右から左をまたしてもシルエットが移動していった。
万事休すである。
あとの私に残されたのは、あの部屋に帰るか、この暗がりの中で朝まで立っているかの選択肢しかなかった。
どちらをとるべきか。
しばらく悩んだ後で私は部屋に戻った。
屋外はあまりに危険すぎる、常に背後がガラ空きである。それに比べればたとえ得体の知れないものがいたとしても自分の部屋なら壁に背を押しつけておくことができる…究極の選択だった。
意を決して部屋のドアを開けたが、当然部屋は出てきたときのままだった。エアコンが冷えた空気をかき回していた。
それから、空の白むまでの2時間近くを私は壁にピタリと背中を押しつけた不自由な姿勢で過ごした。
そして、ある事を思い出した…
その年のゴールデンウィーク、高校時代ともに生徒会の役員を務めた先輩がバイクの事故で亡くなっていたのだった。聞いた時は他のことに取り紛れて人の運命はわからないものだと月並みな感想を抱いただけだったが、そう言われてみれば、あのシルエットの横顔は妙に鼻が高くてその先輩に似ている様な気がし始めた。そして、仲間がみんな帰省しているのはお盆だからであり、今日あたりがちょうどお盆の中日であったはず、ということ…
そのあと、虚空に向かい
「先輩、わざわざご心配頂いてありがとうございます。おかげさまでどうにか無事でやっております」などとご挨拶しつつ、朝までの数時間を体を固くしたまま過ごしたのであった。
ちなみに、その後そういった種類の不思議な体験をしたことはない。
だから、私は今でも自分に霊感はないと信じている。ぜひ、そうあってほしいものである。
といったあたりで本日はこれまで。
皆様、よいお盆をお過ごしください。
御退屈様でした。
毎日暑い日が続きますね。
ひと昔前なら、風鈴にスイカ、蚊取り線香とTVの怪談、と夏の風物詩は大体決まっていたものですが、最近まったくやりませんよね、怪談。
やっぱりオウム事件あたりからTVの風向きが変わってきたのかなあ。
よし、TVが韓流ばかりで、怪談をやらないのなら私が。
というわけで、本日は私の数少ない超常体験など。
19の夏、私は予備校に通うために東京にいた。
もっとも、まともに通ったのは最初の3日くらいで、あとはひたすら初めての東京暮らしを満喫する日々を送っていた。
住んでいたのは多摩市のアパート。鉄筋コンクリート新築・エアコン完備・ワンルーム・3階建の3階。アパートの住民も同年代の人たちばかりで仲が良く、飲み会をやったり、麻雀をやったりと、高校3年間を寮で過ごした私は久しぶりの人間らしい生活のおかげで「何のために東京にいるのか」など杜子春並みにすっかり忘れた日々を送っていた。
そんなある日。
アパートの両隣の住人が帰省するからしばらく遊べないと言う。真下と斜め下の住人はその少し前から帰省していて留守だった。1階の麻雀メンバーの同級生もすでに帰省していた。
私はというと、浪人生だから帰省しないといえば聞こえはいいが、実家に帰って小言を聞かされるより特別手当が出るこの時期にバイトをしない手はないということで、一人東京に残り24時間営業のドーナツショップでアルバイトに明け暮れていた。当然、昼よりも時給のいい夜のシフトを選んだ私は、ゴキブリなみに昼夜が逆転した生活だった。
ある夜、午前2時くらいだったか。久しぶりの休みにアパートで本を読んでいた私は、階上から大きな物音が続いているのが気になり始めた。
何か引越しをしているような割と大きな音だった。
「こんな夜中に引越し?」
それもおかしな話だが、私が住んでいるのは3階建の3階。上に部屋はない。
ということは、隣の音を上からと聞き間違えているのか。
しかし、両隣は留守である。
もしかして、下の部屋の音を…
下の部屋も不在である。だいいち、私の住んでいたアパートは鉄筋コンクリート造なので周囲の物音はそれまであまり聞こえたことがなかった。
もっとも、そうは言ってもこのアパートのどこかで大きな音がした(音はしばらく続いてやんだ)のは間違いない。
そしてそれは、両隣でも、上でも、真下でも、斜め下でもない。
じゃあ、どの部屋からの音だったのか。少し興味が湧いてきた。
よし、外に出てどの部屋に明かりが灯いているのか確かめてみよう。
こうして私は、部屋を出てアパート全体が見渡せる目の前の広場に立った。
お車でお越しの際は当塾にご連絡をお願いいたします。
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