「不当景品類及び不当表示防止法」という法律があります。対象は食品から工業製品、サービス業、範囲も本体業務から広告内容までと、非常に守備範囲の広い法律です。その第4条で「優良誤認」、つまり「良くないものを良いものであるかのように誤解させて客に売りつける行為」を禁じており、違反者には最悪の場合、懲役及び罰金も科されるというなかなか厳しいものです。
 そして、その運用にあたる公正取引委員会は、学習塾の合格実績において「8日間程度の短期講習のみや数回テストを受けただけの生徒は実績に加えてはならない」との見解を示しています。
 事実、この法律に違反して注意や排除命令などの処分を受けた学習塾もいくつかあります。

 ただし、違反が発覚して処分を受けるなどというのは例外中の例外だろうと思います。
 だって、よその塾の合格実績の内訳なんか外部からわかるわけがない。
「A塾の今年の合格実績の内、15人は模試を受けただけの生徒だ」なんて江戸川コナン君でも謎は解けないわけで、処分を受けた塾はおそらくクビにした職員に内部告発されちゃったんだろうと思います。

 それにこの法律と公取の見解によったところで、X君が高1でA塾、高2でB塾に通ったがいずれも成績が上がらないのでやめて、高3で通ったC塾で一気に学力が伸びて志望大学に合格した場合、A塾B塾C塾いずれもX君を合格実績として計上できます。つまり、X君1人で3人の合格者が登場するわけです。

 とまぁ、ことほど左様に合格実績というのは、あてになるようなならないような、なかなか難しい代物なのです。
 よく云われる「四大予備校(駿台・河合・代ゼミ・東進)の東大合格者の数をすべて足すと、東大の定員の3倍になった」という話もあながち笑い話とばかりは言えないわけです(もちろん「東大に受かる生徒さんは勉強熱心で、お家もお金持ちだから複数の塾に通っており、結果として定員より合格者数が多くなるのは全然おかしくない」という理屈は承知しておりますが)。

 で、「おまえのところはどうなんだ」というのが皆様の当然の疑問だと思いますが、うちは受験時まで塾費を払って通って頂いて、合格報告をして頂いた生徒さんしか合格者にカウントしないことにしております。つまり、高1時にうちに在籍したことがあるとか、無料体験に来たことがある、あるいは一浪して有名大学に合格した、といった生徒さんは一切カウントしておりません。

 「正直で結構なことだ。自慢か」と言われそうですが、これも田舎の零細塾としてやむを得ない、涙ぐましい選択なのです。
 つまりまぁ、高2以下の生徒さんは今年どういう先輩が受験したかを皆さんご存知なわけです。そんな完全ガラス張りの環境で、見たことのない先輩の合格実績を載せたらどうなるか。「あそこの合格実績は嘘だ」と噂が立つに決まっています。狭い町ですから一旦立った噂はあっという間に町中に広まります。あとは、どれだけ本当の合格実績が出たところでオオカミ少年。それが嫌なら毎年、正直申告をするしかないのです。

 といった次第で、合格発表時は場合によっては生徒以上にドキドキしている我々がいるわけです。毎年、白刃の上を素足で渡っているようなものです。ただ、だからこそ授業の内容や学習環境のクォリティーに常に敏感で居続けられるのかもしれない、と最後はちょっと自慢など申し上げたところで、本日はこれまで。
 御退屈様でした。

 

 時が経つのは速いもので、激動の本年もついに9月に突入であります。
 暦の上ではもう秋。
 ”勉学の秋来たる!来たれ新入生!!”「当塾もまだ定員に若干の余裕がございます。皆様、お申し込みはお早めにお願いいたします」と林家こん平さんのようなご挨拶を申し上げたところで、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 秋といえばわれわれ塾業界においてもいよいよ正念場。
 東日本大震災の思わぬ余波で苦戦を強いられた上半期の挽回を果たさなければなりません。
 そこで、今回は入塾率を大きく左右する合格実績をめぐる悲喜こもごもについてお話し申し上げましょう。

 大学受験の塾で最も大切とされているものの1つが東大・京大の合格者数です。「この校舎から東大に○名、京大に○名合格しました」の垂れ幕を出すと出さないでは、ずいぶん入塾者の数が変わってくるといわれています。
 そしてこれは、われわれ業界内部の人間から見てもやむを得んかなぁと思います。だって、保護者様は塾を見分ける物差しをほとんど持ってらっしゃらない。
「講師の人柄」とかいったところで、直接講師と保護者様がお目に掛かるのは年に1、2回程度。とてもじゃありませんが人柄なんて伝わりません。
「カリキュラムのよさ」とかいっても、直接授業を受けるわけではない保護者様からは、も一つはっきりしない。
とどのつまりが、「その講師は今までに何人、東大・京大に合格させたことがあるのか」で講師の実力を計ろうとする、これはもぅむべなるかなと、言わざるを得ません。

 ただ、塾の側から言わせて頂くと、この東大・京大を受ける気のある、そして、頑張ったら受かる可能性のある生徒さん、つまりまぁ、私も今までに何人か拝見いたしましたが、賢い上に勤勉で素直、そして謙虚、という伸びる要素をすべて併せ持っていらっしゃるような生徒さんとはなかなか巡り合えない。ご賢察のとおり、そういう生徒さんは講師の言うことをすべて信じて出し惜しみせず努力をしたりするわけですよ。そりゃぁ最高学府でも受かりますって。

 でもまぁ、そんな生徒さんを待ち続けたところで、いわば「株を守る」のきこりと同じ。いつまで待っても一人も来ないかもしれません。
そこで、まず誰でも思いつくのが「受かったことにする」こと。
原始的な方法ではありますが、かなり効果的な方法でもあります。

 以前、勤めていた塾で合格実績をホームページに載せようという話になった時、上司が真っ先に言ったセリフが「東大合格者2名」
「えっと、私知らなかったんですが、ここって東大合格者いたんですか?」
「いや、まぁ、昔の教え子で東大に受かった子がいるから…」
「それって、ここと何か関係あるんですか?」
「いや、まぁ、でも、まるっきり嘘でもないし…」
結局、「東大合格者2名」はホームページにアップされました。

 また、別の塾のホームページで、それまで全く見たことがなかった東大合格者が「数年前に出ていた」という合格実績の修正を見たこともあります。
なぜ、数年間秘密にしていたかは謎です。まさか、何年も前だと当時の事情を知っている生徒がいないから大丈夫と思ったわけではないとは思うのですが…(ちなみに、その塾はしばらくしてその東大合格実績を削除しました。なぜかはわかりません)。

 とまぁ、こんな具合に各塾・予備校が血道を上げる東大・京大の合格者数ですが、一応これについて規定した法律もございます。
 ですが、長くなってまいりましたので、続きは次回申しあげることにして本日はこれまで。
 御退屈様でした。

パソコン版ホームページをリニューアルいたしました。

携帯版ホームページも来週にはリニューアル完了の予定です。

皆様ぜひアクセス下さい。

 

K・Hさん

自分が受験した岡山大学薬学部は、センター試験の配点が高く、平均得点率も高かったので、11月に岡大オープンを受けた後の2ヶ月間はセンター対策に全力を注ぎました。

自分は理系なのに、数学と地理が苦手で、国語のマークも点が不安定でした。だから、リンデンバームシューレではその3教科を受講しました。

数学・地理は、塾の先生が勧めて下さった参考書で基礎基本を固め、あとはひたすら問題演習を行いました。その際、塾に置かれていた多くの問題集が非常に役に立ちました。

国語は、塾で教えて頂いたマーク問題の解法を実践すると、驚くほど得点が安定していきました。

結果として、苦手だった数学や国語も本番では得意教科と同じように得点源とすることができました。社会も大きく得点を伸ばせました。

そして、二次の数学でも受講していた数学の八束先生の解説をよく聞くことで、苦手を克服できたと感謝しています。

自分はこの塾に入ったことが、合格への道を切り開いたと思います。

(2011年3月合格)

 昔から「家は3回建てて、はじめて満足のいくものができる」とか云われます。

 つまり、最初は「少し金の余裕もできたから、そろそろ家でも建ててみっか」みたいな調子で建ててみるができ上がったものを見ると、自分のイメージとは大違い。ここも不細工、あそこも不便みたいなオンパレード。
 そこで2回目は、いわば「羹に懲りてなますを吹く」式に慎重に慎重に、失敗だけはしないように心がけて建ててみるが、できたものは何かが足りない。個性がないというか、単に失敗してないだけというか…
 よし、3度目の正直。少々リスクを冒しながらも個性も主張した設計。費用も2度の失敗でだいたい相場も分かっているので掛けるところにはウンと掛ける代わりに、どうでもいいところはバッサリ削る。かくして、絶妙のバランスで機能性と美しさを備えた、自分だけの、いわゆるオンリーワンの城ができ上がる、ということらしいのです。

 うちも2年前の開塾のときは、「とりあえずホームページを作んなきゃ」みたいな感じで、具体的なホームページをつくるメリットは何なのか、そしてそれにいくらなら掛けてもいいのか、みたいなことは何にも考えていませんでした。
 お願いした業者さんもこちらのそういう状態を察して下さって、あれもつけましょうか、ついでにこれもつけときましょうか、みたいな提案をして下さる。こちらもわけがわかっていないので、ああ、それもいいね、これもかわいいね、みたいな調子で作業が進んで、何はともあれホームページはでき上がる。

 そして、しばらく使っているうちに、だんだん疑問が浮かんでくる…「このホームページをネット上にアップして、URLを宣伝する意味はあるのか…」、つまりこちらの思惑通り新規のお客様がホームページにアクセスして下さったとして、このホームページを見てぜひこの塾に通いたいと思うだろうか…少なくとも俺は思わんが(アカンがな!)。

 ということで、ホームページをつくって使ってみて、ようやく何のためにホームページをつくるのかがわかったわけです。

 ただ、そうはいってもうちみたいな零細企業がコンサルタントにお客の集まるホームページをつくってもらうわけにもいかず、具体的にどうすればお客様が通いたいと思うホームページができるのかという名案も浮かばずで、悶々とした日々を送った結果ようやく、「自分がこの塾について知っていることをすべて形にしてしまえ」と一応の方針が決定したわけです。

 そして、制作も素人の私どもにふさわしい大ベテランを配することとし、ここ愛媛の地でホームページをつくり続けてはや10年という老舗、株式会社コモテックさんにお願いすることにしました。担当は営業チームリーダーの荒木さん。

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 打ち合わせも丁寧で、出来上がりのデザインも美しくて速い。しかも値段もお手頃。いいことづくめで、悪いところといえば、あまりに進行がスムーズすぎてこちらの原稿が追いつかなかったことくらい。
 ちなみに新ホームページの公開は順調にいけば数日後、9月あたまの予定です。

 いやぁー、この夏はおかげで文章をみっちり書かせていただきました。文句を言いたくなるくらい書きましたが、自分のアイデアで自分の仕事の原稿なので言っていく先がない。残業手当もボーナスも出ない(当り前か)。まぁ、経営者というのも思えば大変なものなのですねぇ…

 世の中の社長さん、どうぞお体をおいたわり下さいませ、としんみりしたところで本日はこれまで。
 御退屈様でした。
 

 ごぶさた致しております。
 皆様、いいお盆休みをお過ごしになられましたか?

 私はと申しますと、夏休みの帰省を利用して会いに来てくれた卒業生との再会に次ぐ再会で、おかげさまで教師冥利に尽きる日々を過ごしております。
 いやぁーみんな、少し見ないうちに立派になって。先生も大感激です。

 といった事情で、ブログの更新が遅れてしまい、読者の皆さまから「生きてるのか?」「やる気がないならやめたらどうだ」などなど温かい叱咤激励を頂戴した上に、本日はこのブログの運営会社からも「書く内容に困っているならこんな話題で」などと提案までして頂く始末。
 事ここに至って、私もようやく夏休みの終わりを認めることと致しました。
 ということで、本日よりブログを再開いたします。
 一生懸命更新いたしますので、皆様どうぞ以前に変わらぬごひいきのほどをよろしくお願い申し上げます。

 ただ、ブログの更新が遅れておりましたのは単に卒業生たちと遊んでいたからだけではございませんで、2011年下期のPR戦略の仕込みが大詰めになっていたからでもありまして。というわけで本日はそのご報告など。

 まず、松山市駅(松山をご存じない方のために申し上げますと、松山市を通る郊外電車、松山市を循環する市内電車双方の起点駅です)の2・3番線コンコースにうちの看板が設置されました。こんな感じです。

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 左手上から3番目の緑の看板がうちです。看板の下にはパンフレットラックも付いています。

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 いかがでしょうか。

 そして、昨日から市内主要高校でのチラシ配布を始めました。今回のチラシはこんな感じ。
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 さらに、今月末にはホームページを全面リニューアルします。こんな感じ。

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 今回のホームページリニューアルはかなりうちにとって思い切った決断でありまして…というわけでこの話の続きは次回申し上げます。本日はこれまで。
 御退屈様でした。

怪談の下

 明かりが灯いているのは自分の部屋だけだった。
 「じゃあ、あれは何の音だったんだ?」
 と思いながら自分の部屋を見上げた私はギョッとした。

 閉めたカーテンに立っている人のシルエットが映っている。
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 今までいた部屋である。途中で誰かとすれ違いもしなかった。服をハンガーで窓際に吊ったりもしていない…とすれば、お化け関係か…いや、俺には霊感というやつが全くない。そっちは安心だ、などと暗がりの中で考える間もなく、すっとそのシルエットが右から左に動いた…
 滑るような、非常になめらかな動きだった。

 「疲れてるな」と私は自分に話し掛けた。それ以外に理由がない。疲れてるから幻を見ているのだ。
 そんなに疲れるほど仕事はしていないんじゃあ…というもう一人の自分の声は無視することにした。
 生まれて初めての幻を見るほど今の俺は疲れているのだ。

 こうして自分の中では衆議一決、「先ほどのは目の錯覚であった」という結論が出たところでそれを確認するためにもう一度自分の部屋を見上げた。
 「これで何も異変がなければ自分の部屋に帰れる。今ならまだ自分を自分で説得できる。頑張れ、俺の目…」
 しかし、願いもむなしくシルエットは左から右に滑っていった…

 「非常に疲れてるな」と私は自分に念押しをした。それ以外に理由がない。その理由でなければ困るのだ。
 なぜって、現在は午前2時半。近所のコンビニは12時~6時までは閉店しているし、いちばん近いファミレスは1㎞先である。近所に知り合いもいない。おまけに給料日前なので懐も寂しい。あの部屋に帰る以外の選択肢はないのだ。
 もう一度だけ見上げて、それで影が見えなかったらすべて目の錯覚だったことにしよう。

 重大な決意を込めて見上げた部屋であったが、右から左をまたしてもシルエットが移動していった。

 万事休すである。
 あとの私に残されたのは、あの部屋に帰るか、この暗がりの中で朝まで立っているかの選択肢しかなかった。
 どちらをとるべきか。

 しばらく悩んだ後で私は部屋に戻った。
 屋外はあまりに危険すぎる、常に背後がガラ空きである。それに比べればたとえ得体の知れないものがいたとしても自分の部屋なら壁に背を押しつけておくことができる…究極の選択だった。
 
 意を決して部屋のドアを開けたが、当然部屋は出てきたときのままだった。エアコンが冷えた空気をかき回していた。
 それから、空の白むまでの2時間近くを私は壁にピタリと背中を押しつけた不自由な姿勢で過ごした。
 そして、ある事を思い出した…

 その年のゴールデンウィーク、高校時代ともに生徒会の役員を務めた先輩がバイクの事故で亡くなっていたのだった。聞いた時は他のことに取り紛れて人の運命はわからないものだと月並みな感想を抱いただけだったが、そう言われてみれば、あのシルエットの横顔は妙に鼻が高くてその先輩に似ている様な気がし始めた。そして、仲間がみんな帰省しているのはお盆だからであり、今日あたりがちょうどお盆の中日であったはず、ということ…

 そのあと、虚空に向かい
 「先輩、わざわざご心配頂いてありがとうございます。おかげさまでどうにか無事でやっております」などとご挨拶しつつ、朝までの数時間を体を固くしたまま過ごしたのであった。

 ちなみに、その後そういった種類の不思議な体験をしたことはない。
 だから、私は今でも自分に霊感はないと信じている。ぜひ、そうあってほしいものである。

 といったあたりで本日はこれまで。
 皆様、よいお盆をお過ごしください。
 御退屈様でした。

怪談の上

 毎日暑い日が続きますね。
 ひと昔前なら、風鈴にスイカ、蚊取り線香とTVの怪談、と夏の風物詩は大体決まっていたものですが、最近まったくやりませんよね、怪談。
 やっぱりオウム事件あたりからTVの風向きが変わってきたのかなあ。
 よし、TVが韓流ばかりで、怪談をやらないのなら私が。
 というわけで、本日は私の数少ない超常体験など。

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 19の夏、私は予備校に通うために東京にいた。
 もっとも、まともに通ったのは最初の3日くらいで、あとはひたすら初めての東京暮らしを満喫する日々を送っていた。
 住んでいたのは多摩市のアパート。鉄筋コンクリート新築・エアコン完備・ワンルーム・3階建の3階。アパートの住民も同年代の人たちばかりで仲が良く、飲み会をやったり、麻雀をやったりと、高校3年間を寮で過ごした私は久しぶりの人間らしい生活のおかげで「何のために東京にいるのか」など杜子春並みにすっかり忘れた日々を送っていた。

 そんなある日。
 アパートの両隣の住人が帰省するからしばらく遊べないと言う。真下と斜め下の住人はその少し前から帰省していて留守だった。1階の麻雀メンバーの同級生もすでに帰省していた。
 私はというと、浪人生だから帰省しないといえば聞こえはいいが、実家に帰って小言を聞かされるより特別手当が出るこの時期にバイトをしない手はないということで、一人東京に残り24時間営業のドーナツショップでアルバイトに明け暮れていた。当然、昼よりも時給のいい夜のシフトを選んだ私は、ゴキブリなみに昼夜が逆転した生活だった。

 ある夜、午前2時くらいだったか。久しぶりの休みにアパートで本を読んでいた私は、階上から大きな物音が続いているのが気になり始めた。
 何か引越しをしているような割と大きな音だった。
 「こんな夜中に引越し?」
 それもおかしな話だが、私が住んでいるのは3階建の3階。上に部屋はない。
 ということは、隣の音を上からと聞き間違えているのか。
 しかし、両隣は留守である。
 もしかして、下の部屋の音を…
 下の部屋も不在である。だいいち、私の住んでいたアパートは鉄筋コンクリート造なので周囲の物音はそれまであまり聞こえたことがなかった。

 もっとも、そうは言ってもこのアパートのどこかで大きな音がした(音はしばらく続いてやんだ)のは間違いない。
 そしてそれは、両隣でも、上でも、真下でも、斜め下でもない。
 じゃあ、どの部屋からの音だったのか。少し興味が湧いてきた。

 よし、外に出てどの部屋に明かりが灯いているのか確かめてみよう。

 こうして私は、部屋を出てアパート全体が見渡せる目の前の広場に立った。

 正直なところ、私の幼い頃の松山では、鰻などあまり高級な食べ物ではなかったように思う。

 今でこそ、鰻の蒲焼も出世してオージービーフのステーキなどは見下す勢いだが、当時の蒲焼と一緒に店で並んでいたメンバーは、どじょう汁や雀の串焼(空を飛んでるあの雀である)だったような…

 そんな中で出てくる鰻の蒲焼なので「父ちゃん、ホントに今夜は蒲焼が食べられるの?」みたいなテンションの上がり方は皆無だった。

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 ついでながら申し上げておくと、子供の頃の私は今どきのグルメの方からすれば垂涎の食生活を送っていた。
 さっきまで泳いでいた鯉の、洗い、鯉こく(鯉の味噌汁です)。大粒の田螺の味噌汁。特Lサイズのどじょう汁、蒲焼。地卵に地鶏。

 ただ、当時お子様だった私には全くありがたくない食生活だった。ほとんど、酒の肴ばかりである。しかも、かなり通好みというか渋めのチョイスである。子供が喜ぶわけがない。

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 卵は確かに旨かったが、鶏はキツかった。今風にいえば「自然の餌で育てて広い敷地で十分に運動させた鶏」なのだが、ひらたく言えば今朝まで庭で元気に遊んでいたペットのピヨちゃんである。「旨い」わけがない。おかげで「命を頂く」ということがどれだけ尊いことなのかは十分に学ばせて頂いたが、いまだにブロイラーだから旨くない、みたいなことを言っている人を見ると、はり倒したくなる。”ブロイラー上等”である。孔子様のおっしゃるとおり、生きているところを見た生き物の肉は食べるべきではない。

 ここまでご覧いただいた皆様の中でひょっとすると、金がないから採集生活でもしていたのかと誤解なさった方もいらっしゃるかもしれないが、別に食材を買えないからそういう暮らしをしていたわけではない。死んだ親父には旨かったのだろうし、男のロマンだったのだと思う。今の私が見たら少しだけ旨そうな気がするが、お子様だった当時の私には全く判らなかっただけである。

 ただし、その親父の食道楽のおかげで、いくら珍しくても所詮、鰻は鰻、卵も卵の味ということを教えてもらった。まぁ、ありがたいことであると感謝しつつ、今日は妻と奴豆腐などつつくことにする。

 といったあたりで本日はこれまで。
 御退屈様でした。

 去る21日は土用丑の日だったとか。
 全国で、というか、全アジアで多くの鰻が昇天したことと思いますが、いかがですか皆さん、鰻召し上がりました?
 というわけで、本日は鰻の思い出など。

 子供の頃、我が家は養鯉業を営んでいた。養鯉業とは、錦鯉の養殖をする仕事である。自宅兼店の敷地は1500坪。大きな池がいくつか点在していて、そこに鯉を飼っておき、夏から秋の頃、池の水を抜いて鯉を展示用の池に移す。この作業を「池上げ」という。私や妹のような小学生から、日当を払ってお越しいただいたご近所のご婦人方に至るまでを総動員し、まぁ、なかなか賑やかな季節の恒例行事であった。

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 で、この池上げをすると、大きくなった鯉と久しぶりに対面できるだけでなく、思わぬ副産物がある。鰻だ。

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 鰻というのは、日本中の川や池や沼に棲んでいるが、これが全部フィリピン生まれなのだそうだ。川が通じていない沼などにはどうやってたどり着くのかというと、陸を這っていくというのだからエライものである。
 まぁ、そんなガッツのあるウナちゃんなので、鯉の稚魚がごっそりいる私どもの池にも当然お越しになる。そして、「もう食えん」というだけ目一杯稚魚を召し上がり、丸々太った状態で、われわれとご対面の運びとなる。

 今で言うと「天然物の最上級品、特Lサイズ」といったところだろうか。

 その鯉の敵、憎い鰻君を3日~1週間ほど井戸水で飼って泥を吐かせると、いよいよ、われらの食膳にご登場である。死んだ親父が器用な人で、錐と小出刃を操って、鰻屋顔負けの勢いでさばいていた。

 で、味はどうだったか?

 まぁ、鰻の味であった。
 もう少し丁寧に言うと、最近スーパーで買ってくる鰻に比べると味が濃かったような記憶がある。

 少々話が長くなりそうなので、続きは次回。本日はこれまで。
 御退屈様でした。

リンデンバームシューレへのアクセス

〒790-0005
愛媛県松山市花園町3-12向井ビルⅢ(4F~6F)
公共交通機関からのアクセス
  • 伊予鉄「松山市駅」で下車 → 徒歩約2分
  • 市内電車「松山市駅前」で下車 → 徒歩約2分
  • 市内電車「南堀端」で下車 → 徒歩約2分

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