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 6月20日は私の恩師I先生の祥月命日であった。

 不肖の弟子である私は結局法曹への道を断念し、先生のご期待に添うことができなかったがここでI先生の人となりを皆様にお伝えし追善としたい。

 現在、シュロス松山のある場所に以前シャトーテル松山というホテルがあった。

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 オープンの際には皇族方や地元選出の代議士もテープカットに参加したという松山で最も格の高いホテルであったらしい。「らしい」というのは私はその当時のことを全く知らないからである。
 むしろ私の知っているシャトーテルはその後に周囲にできたビルに日差しを遮られた昼なお暗い、くすんで、うらぶれた、ビジネスホテルであった。そのシャトーテルの開業以来のテナントの1つがI法律事務所であった。

 そして、I先生も自然な感じでシャトーテルになじんでいらっしゃった。

 I先生が司法試験に合格なさったのは、年間出願者3万人に対して合格者500人、合格率1.5%という、司法試験が国家の最難関試験の時代であった。4浪5浪は当たり前、10浪も珍しくない世界。
 その試験に先生はわずか2回の受験で在学中にパスなさった。神の息子というか、ほとんど神そのものである。
 その後、東京の大手渉外弁護士事務所に所属。
 ちなみに渉外弁護士とは、字のとおり外国と交渉する弁護士で現在、国際弁護士と誤って呼ばれている、弁護士の中でも最もエリートの職種である。
 そして、そこで名前を聞けば誰でも知っている世界的企業の日本法人設立や、愛媛の人なら誰でも知っている地方銀行の海外支店設立などを数年間手掛けられた後、松山に帰っていらっしゃった。

 「なぜ松山に帰ろうと思ったのですか」と質問すると「僕はマザコンだから母のそばにいたかったんだ」と真面目な顔でおっしゃっていた。そのあと、「三好君もそうだろう」と真顔で聞かれたのには少々弱ったが…

 松山に帰ってからも華々しかったらしい。
 東京帰りの新進気鋭の青年弁護士、さらに英語もペラペラ。さっき申し上げたような事情で「青年弁護士」という存在自体が珍しかった時代に松山で開業。どうせお金を払うならこういう弁護士に頼みたいということで依頼者は引きも切らず押し寄せ、長者番付の常連。プライベートでもモテモテ、と公私ともに順調だったそうである。

 先生は苦労した話以外には過去の自分についてあまり語られなかったが、周囲の話を総合するとどうもそういうことであったらしい。

 ということで終わりそうにないので、この話次回に続きます。

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